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2013年06月05日
専務より御礼の挨拶♪
5月30日 午前9:35、代表取締役社長である父が家族に見守られながら安らかに眠りにつきました。
多くの皆様に見送っていただけたましたこと、そして愛していただけましたことを心より御礼申し上げます。
父の愛したこの『四季彩の宿 萩高山 高山観光ホテル』 を残された私たち従業員一同力を合わせてまもってまいります。
何卒これからもご愛顧賜りますよう心よりお願い申し上げます。
60歳を迎えた頃から体調を崩し、肝臓癌がみつかりましたが、
重度の肝硬変でしたので、切り取ることができず癌を焼いて治す治療を施しておりました。
昨年秋にこのままでは、一年の余命と言われ、治すには肝臓移植手術しか道はないと言われました。
死ぬのを待つか、生きるために挑戦をするのかを考えて、いっさい後悔をしないと言う強い決意のもと
今年の3月22日に私の肝臓の40%を移植した肝臓移植手術をさせていただきました。
金沢大学付属病院の皆様には、本当に誠心誠意ご尽力いただけましたことを家族一同心より感謝しております。
私と父、そして家族もさらに強い絆で結ばれることができた気が致します。
生きることの大切さと強い意志を身を持って、私たち家族、孫に教えてくれました。
父は一人っ子で兄弟がいないため、いろんな団体に所属させていただき、そこで大好きなお兄ちゃん、
お姉ちゃん、弟、妹と出会えたことをとても喜んでおりました。
『人は財産』というのが口癖の父でした。
昨年は、国体が開催された際に駄目だと言われていたのに家族に内緒で大好きな手筒花火を上げていたりと、
いつも言うことをきかない自由な人でした。
集中治療室で食事もあまりとれなくなった時には、「悦子(母)の愛で生きているから大丈夫だ」と
珍しくかわいいことも言っておりました。父も頑張りましたが母も本当に良く頑張ったと思います。
息子の私から見ても良い、お似合いの夫婦であったと思います。
祭壇は生前父がデザインしていたものをそのまま再現させていただきました。
最後の最後まで自分で仕切りたい父らしいと思います。
高山が大好きで、人が大好きだった父が、生前お別れのことばを遺しておりましたので紹介いたします。
『お別れの言葉』
生かされ、守られ、育てていただいた私の人生でした。
呉服屋の四代目という職を継ぐべき身でありながら、色んな仕事に携わらせていただき、
妻に言わせれば貴方は好きなことをやり満足でしょう・・・。と
その好き勝手にやらせて頂いた背景には父、母、妻をはじめ家族の温かい理解と支援なしには
何もなし得なかったのが事実だろう。
その過程では困った存在であり、多分に皆様に迷惑をかけていたのことを痛感しています。。
高山の町はとても良い町です。何処を旅行しても帰ってくるとこの町の生まれ、
この町で一生を終えることを有り難く思いました。
今まで好き勝手な人生を送らせていただき本当に有難うございました。
皆様のご厚情に感謝、御礼申し上げ私どもの家族にも同様の御支援賜わりますようお願い申し上げます。
多くの皆様に見送っていただけたましたこと、そして愛していただけましたことを心より御礼申し上げます。
父の愛したこの『四季彩の宿 萩高山 高山観光ホテル』 を残された私たち従業員一同力を合わせてまもってまいります。
何卒これからもご愛顧賜りますよう心よりお願い申し上げます。
60歳を迎えた頃から体調を崩し、肝臓癌がみつかりましたが、
重度の肝硬変でしたので、切り取ることができず癌を焼いて治す治療を施しておりました。
昨年秋にこのままでは、一年の余命と言われ、治すには肝臓移植手術しか道はないと言われました。
死ぬのを待つか、生きるために挑戦をするのかを考えて、いっさい後悔をしないと言う強い決意のもと
今年の3月22日に私の肝臓の40%を移植した肝臓移植手術をさせていただきました。
金沢大学付属病院の皆様には、本当に誠心誠意ご尽力いただけましたことを家族一同心より感謝しております。
私と父、そして家族もさらに強い絆で結ばれることができた気が致します。
生きることの大切さと強い意志を身を持って、私たち家族、孫に教えてくれました。
父は一人っ子で兄弟がいないため、いろんな団体に所属させていただき、そこで大好きなお兄ちゃん、
お姉ちゃん、弟、妹と出会えたことをとても喜んでおりました。
『人は財産』というのが口癖の父でした。
昨年は、国体が開催された際に駄目だと言われていたのに家族に内緒で大好きな手筒花火を上げていたりと、
いつも言うことをきかない自由な人でした。
集中治療室で食事もあまりとれなくなった時には、「悦子(母)の愛で生きているから大丈夫だ」と
珍しくかわいいことも言っておりました。父も頑張りましたが母も本当に良く頑張ったと思います。
息子の私から見ても良い、お似合いの夫婦であったと思います。
祭壇は生前父がデザインしていたものをそのまま再現させていただきました。
最後の最後まで自分で仕切りたい父らしいと思います。
高山が大好きで、人が大好きだった父が、生前お別れのことばを遺しておりましたので紹介いたします。
『お別れの言葉』
生かされ、守られ、育てていただいた私の人生でした。
呉服屋の四代目という職を継ぐべき身でありながら、色んな仕事に携わらせていただき、
妻に言わせれば貴方は好きなことをやり満足でしょう・・・。と
その好き勝手にやらせて頂いた背景には父、母、妻をはじめ家族の温かい理解と支援なしには
何もなし得なかったのが事実だろう。
その過程では困った存在であり、多分に皆様に迷惑をかけていたのことを痛感しています。。
高山の町はとても良い町です。何処を旅行しても帰ってくるとこの町の生まれ、
この町で一生を終えることを有り難く思いました。
今まで好き勝手な人生を送らせていただき本当に有難うございました。
皆様のご厚情に感謝、御礼申し上げ私どもの家族にも同様の御支援賜わりますようお願い申し上げます。
Posted by はぎ ゆう at
04:33
│Comments(1)
2013年03月30日
専務の独り言♪
肝臓移植手術後一週間が経過しやっとパソコンにむかえるまで回復しましたので
皆様に御礼と御報告をしたいと思います。
写真は手術日当日の社長と孫全員との集合写真です♪
3月22日朝8:30に私も父も手術に入りました。
結果的に手術が終わったのは、私で13時間後、父にいたっては35時間にも及ぶこの病院始まって以来の
最長手術時間を記録する手術となってしまいました。
正直、父は何度かやばかったようですが何とか踏ん張ってくれました。
父は、社長は、本当に強いです。
そして、何より感動しましたのは、医師の先生方の使命感の高さです。
なんとしてでも治すという強い思い、使命感を強く感じました。
私は四日間、ICU(集中治療室)に入りやっと一般病棟に戻してもらいました。
ICUはいるところではありませんね。こんな正常な僕でもおかしくなりそうになりましたから・・・・・
父はそんなおかしくなるところに一ヶ月も入っていないといけませんので、辛抱です。
術後意識朦朧の中まず叫んだ事、『俺の肝臓頑張れ~!おやじ頑張れ~!』です。
もうこんな辛いのは経験したくありませんが、また少し父親と近づけた気がしました。
そして、やっぱり父親のことが大好きなんだなぁと再認識することができました♪
手術に向かうまで、病室でこうすればお客様は喜んでいただけるのではないか?
飛騨高山のまちがこうなれば、良くなるんじゃないかとずっと考えていた父親は、本当にまだまだやりたいことが
あるようです。そして、多くの方に御恩返しができていないとつぶやいていました。
これだけの強い意志を持った父親ですので、何とか乗り越えてくれると家族一同確信しております。
私事で多くの方にご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません。
でも、皆様の御言葉行動にはとてもとても支えられました。感謝申し上げます。
私の退院は、4月中旬になりそうですが、術後が大事みたいなので肝臓がしっかりと育つまでは
少しマイペースにゆっくりとやっていこうと思っています。(そんなことが出来るのか?疑問ですが・・・)
また、戻って皆様とお会いできることをとても楽しみにしております。
最後に、おならができるだけで本当に幸せということを皆様にお伝えして御礼とご報告と
させていただきます♪
皆様に御礼と御報告をしたいと思います。
写真は手術日当日の社長と孫全員との集合写真です♪
3月22日朝8:30に私も父も手術に入りました。
結果的に手術が終わったのは、私で13時間後、父にいたっては35時間にも及ぶこの病院始まって以来の
最長手術時間を記録する手術となってしまいました。
正直、父は何度かやばかったようですが何とか踏ん張ってくれました。
父は、社長は、本当に強いです。
そして、何より感動しましたのは、医師の先生方の使命感の高さです。
なんとしてでも治すという強い思い、使命感を強く感じました。
私は四日間、ICU(集中治療室)に入りやっと一般病棟に戻してもらいました。
ICUはいるところではありませんね。こんな正常な僕でもおかしくなりそうになりましたから・・・・・
父はそんなおかしくなるところに一ヶ月も入っていないといけませんので、辛抱です。
術後意識朦朧の中まず叫んだ事、『俺の肝臓頑張れ~!おやじ頑張れ~!』です。
もうこんな辛いのは経験したくありませんが、また少し父親と近づけた気がしました。
そして、やっぱり父親のことが大好きなんだなぁと再認識することができました♪
手術に向かうまで、病室でこうすればお客様は喜んでいただけるのではないか?
飛騨高山のまちがこうなれば、良くなるんじゃないかとずっと考えていた父親は、本当にまだまだやりたいことが
あるようです。そして、多くの方に御恩返しができていないとつぶやいていました。
これだけの強い意志を持った父親ですので、何とか乗り越えてくれると家族一同確信しております。
私事で多くの方にご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません。
でも、皆様の御言葉行動にはとてもとても支えられました。感謝申し上げます。
私の退院は、4月中旬になりそうですが、術後が大事みたいなので肝臓がしっかりと育つまでは
少しマイペースにゆっくりとやっていこうと思っています。(そんなことが出来るのか?疑問ですが・・・)
また、戻って皆様とお会いできることをとても楽しみにしております。
最後に、おならができるだけで本当に幸せということを皆様にお伝えして御礼とご報告と
させていただきます♪
Posted by はぎ ゆう at
02:53
│Comments(0)
2013年03月17日
専務の独り言♪
飛騨高山も春を迎えあたたかくなってまいりました。
このままの気温が維持されうまくいけば4月14、15日の春祭りに桜が咲いてくれるのではないかと思います
当館は、桜の樹に囲まれておりますのでお部屋からも展望風呂からもお花見ができます
当館でしか味わえない景色を是非ご堪能いただきたいと思います
話は変わり、私的なことですが
6年前から社長(父)の体調が悪く、いろいろと治療をして入退院を繰り返してまいりました。
末期の肝硬変に加え、肝臓がんもあり昨年末より肝臓移植を考えてきました。
ようやく今月下旬に肝臓移植手術をすることができるようになりました!
私の肝臓を移植します。
私の肝臓が親子で似ているのか? 脂肪肝ということでダイエットと食事療法、入院をし体調管理を
することで何とかOKがでました。申し訳ない限りです。普段の不摂生を後悔しました。
今月に入ってやっとドナーとして立候補することが出来ました。少しホッとしました。
これまで、私自身もいろんな検査を受けてきました。胃カメラ、直腸検査、CT,MRI、血液検査、そして肝生検などなど。
写真は、肝臓の機能を検査するのですが、ヨード?の入った緑色の液を注入しています。
肝生検(肝臓生体検査)は、実際に肝臓の細胞を検査するので、検査に三日間かかります。
麻酔を打って細胞を取って、四時間身動きが取れず一日安静といった感じです。
なかなかないようですが、私はこれを三回やりました。
肝臓移植がなかなか大変なのは、ドナーも時間をとられますし検査も大変なところにあるのかもしれません。
父は、もちろんもっと大変です。年末からずっと入院していますから。
最初、入院すれば休めるなぁなんて考えていたのですが、二日で十分ですね。
私自身もすでに20日間入院しています・・・・・・手術まで少しでも肝臓の状態を良い状態にするためです。
健康でいられることは何よりも幸せです。自由に動けること、働けることの幸せを、できなくなって改めて感じました。
家族がいること、普段当たり前だと思う事がとても幸せなのだと勉強になりました。
手術は、私の肝臓の左葉部の35.8%を移植することになりました。
私の肝臓が大きいので、35.8%でも650gあるので大丈夫とのことでした。
肝臓は再生能力が大きいので、三ヶ月もすれば機能も大きさも元通りになるとのことでした。
移植がゴールではなく、移植がスタートだとお医者様は叱咤激励して下さいます。
手術自体も私が10時間弱、父は20時間以上とかかるようですが、移植した後がさらに大変です。
私は2週間弱で退院できると思いますので春祭りには皆様にお会いできることと思います。
父はそれから最低でも二カ月は、戦わなければなりません。
しかし、父は必ず打ち勝って元気になってくれるものと信じています。
実際に、自分がこういった立場になって思う事は、あげる立場のドナーよりもやはりもらう立場の人の方が
はるかに大変だという事です。たぶん、健康な息子の腹に傷をつくってまでも生きることはどうなんだろうとか、
もしこの手術によって息子にも何かあったらなど、父も悩んだことと思います。
私は父として一人の人間としてまだまだ死ぬには早い、もっと生きてまだまだやりたいことをやって欲しいと思うので、
もし私の肝臓がOKならば手術をしようと父に話をしました。
こうして移植できることを私は心から有難いと思っています。
これからがスタートです。かならず私も父も元気になります。
本当に私的なことで多くの方にご迷惑をおかけしております。
誠に申し訳ありません。
私自身、今回時間をいただけたことで、いろんなことに気づくことができていると思います。
私と社長がいない間、女将を筆頭に従業員が一丸となって頑張ってくれています。
多くの方の支えがある事に、お客様に感謝の気持ちでいっぱいです。
金沢大学付属病院にて
このままの気温が維持されうまくいけば4月14、15日の春祭りに桜が咲いてくれるのではないかと思います
当館は、桜の樹に囲まれておりますのでお部屋からも展望風呂からもお花見ができます
当館でしか味わえない景色を是非ご堪能いただきたいと思います
話は変わり、私的なことですが
6年前から社長(父)の体調が悪く、いろいろと治療をして入退院を繰り返してまいりました。
末期の肝硬変に加え、肝臓がんもあり昨年末より肝臓移植を考えてきました。
ようやく今月下旬に肝臓移植手術をすることができるようになりました!
私の肝臓を移植します。
私の肝臓が親子で似ているのか? 脂肪肝ということでダイエットと食事療法、入院をし体調管理を
することで何とかOKがでました。申し訳ない限りです。普段の不摂生を後悔しました。
今月に入ってやっとドナーとして立候補することが出来ました。少しホッとしました。
これまで、私自身もいろんな検査を受けてきました。胃カメラ、直腸検査、CT,MRI、血液検査、そして肝生検などなど。
写真は、肝臓の機能を検査するのですが、ヨード?の入った緑色の液を注入しています。
肝生検(肝臓生体検査)は、実際に肝臓の細胞を検査するので、検査に三日間かかります。
麻酔を打って細胞を取って、四時間身動きが取れず一日安静といった感じです。
なかなかないようですが、私はこれを三回やりました。
肝臓移植がなかなか大変なのは、ドナーも時間をとられますし検査も大変なところにあるのかもしれません。
父は、もちろんもっと大変です。年末からずっと入院していますから。
最初、入院すれば休めるなぁなんて考えていたのですが、二日で十分ですね。
私自身もすでに20日間入院しています・・・・・・手術まで少しでも肝臓の状態を良い状態にするためです。
健康でいられることは何よりも幸せです。自由に動けること、働けることの幸せを、できなくなって改めて感じました。
家族がいること、普段当たり前だと思う事がとても幸せなのだと勉強になりました。
手術は、私の肝臓の左葉部の35.8%を移植することになりました。
私の肝臓が大きいので、35.8%でも650gあるので大丈夫とのことでした。
肝臓は再生能力が大きいので、三ヶ月もすれば機能も大きさも元通りになるとのことでした。
移植がゴールではなく、移植がスタートだとお医者様は叱咤激励して下さいます。
手術自体も私が10時間弱、父は20時間以上とかかるようですが、移植した後がさらに大変です。
私は2週間弱で退院できると思いますので春祭りには皆様にお会いできることと思います。
父はそれから最低でも二カ月は、戦わなければなりません。
しかし、父は必ず打ち勝って元気になってくれるものと信じています。
実際に、自分がこういった立場になって思う事は、あげる立場のドナーよりもやはりもらう立場の人の方が
はるかに大変だという事です。たぶん、健康な息子の腹に傷をつくってまでも生きることはどうなんだろうとか、
もしこの手術によって息子にも何かあったらなど、父も悩んだことと思います。
私は父として一人の人間としてまだまだ死ぬには早い、もっと生きてまだまだやりたいことをやって欲しいと思うので、
もし私の肝臓がOKならば手術をしようと父に話をしました。
こうして移植できることを私は心から有難いと思っています。
これからがスタートです。かならず私も父も元気になります。
本当に私的なことで多くの方にご迷惑をおかけしております。
誠に申し訳ありません。
私自身、今回時間をいただけたことで、いろんなことに気づくことができていると思います。
私と社長がいない間、女将を筆頭に従業員が一丸となって頑張ってくれています。
多くの方の支えがある事に、お客様に感謝の気持ちでいっぱいです。
金沢大学付属病院にて
Posted by はぎ ゆう at
23:28
│Comments(0)